FC2ブログ

法華寺 その1(奈良県奈良市)

所在地  奈良県奈良市法華寺町882
山号   なし
宗派   光明宗
本尊   十一面観音(国宝)
創建   天平17年(745)
開基   光明皇后

全国の国分尼寺の総本山です。

詳しい地図で見る

法華寺は、東大寺の転害門から一条通りを西へ行った所にあります。
JR関西本線の踏切近くに法華寺の東大門があったと云う。
この辺りが法華寺の東端。


一条高校の前辺りに法華寺の鳥居があったとか。
何で寺に鳥居なのかな?。


鳥居跡には梅壇の切株が残っています。


一条通りを西へ進むと、法華寺交差点。
二坊大路と交差。


西から東を見ています。
この交差点を北へ進むと海龍王寺


虫籠窓のある家の前。
何の石かな?


一条通りがクランク状に曲がると法華寺入口。


振り返って東を見る。
北側には法華寺の駐車場があります。


南側には横笛地蔵菩薩。


詳細は不明であるが、横笛堂と関係あるのだろう。


北へ進むと法華寺入口の赤門。


総国分尼寺と書いてあります。
鎌倉時代中期より真言律宗に属していたが、平成11年(1999)に独立。
光明皇后に因んで光明宗と名付けられた。


法華滅罪寺縁起略。
物足りないのでパンフレットより抜粋。


【縁起】
法華寺は、聖武天皇御願の日本総国分寺である東大寺に対して、光明皇后御願に成る日本総国分尼寺として創められた法華滅罪之寺であります。
寺地は平城宮の東北に位し、藤原不比等公の邸宅だったのを、皇后が先帝ならびに考妣のおんために改めて伽藍となし給うたもので、以来星霜1250年、おん慈しみ深かった皇后の御精神を伝え、道心堅固に護られてきた女人道場「法華寺御所」であります。
従って草創以来朝野の尊崇を集め、天平勝宝元年には詔して墾田一千町歩を施入せられ、大同年中には駿河、美濃、上野、武蔵、越後、伯耆、出雲その他に寺封550戸を持つなど、天平の大伽藍にふさわしく堂宇もまた金堂、講堂、東西両塔、阿弥陀浄土院と荘厳のかぎりをつくしていたのであります。
しかしながら時勢とともに寺運ようやく哀え、中世の記録はさだかではありませんが、叡尊興正菩薩の再興、さらには豊臣秀頼公の外護、徳川氏の寺領220石寄進などあったとは申せ、ついにほとんど旧来の寺観を失うて今日に及びました。
寺史を繙いて感慨を禁じ得ぬもの、ひとり当寺を護るもののみではありますまい。
ただ、そのなかにあって、今なお世の名宝と仰がれる本尊をはじめ幾多の文化財を遺してきたことは、お互いにありがたいことと申さねばなりません。
貞明皇后様におかせられましては、大正12年には本尊御宝前に菊御紋章入り御燈籠一対を御献納遊ばされ、大正15年5月には祈願佛を当寺へ御遷座遊ばされましたが、以来門主は日夜、御祈願 申しあげています。
【今日の寺観】
いにしえの平城京左京一条、いま奈良市法華寺町の一廓に築地をめぐらして南大門を開いています。
境内史跡指定建築物はこの南大門と本堂、鐘楼の3棟で、いずれも桃山時代に再建された重要文化財であります。
本堂は慶長6年(1601)豊臣秀頼公が淀君とともに片桐且元を奉行として 再建した四注造・本瓦葺・桁行七間梁間四間の、もとの講堂であったらしく、その旨は勾欄の擬宝珠や本尊須弥壇の銘文によって明らかであり、向拝の蟇股・手挾の豪華な絵様彫刻に、桃山建築の精粋をうかがうことができます。
先年この堂の解体修理が行われた際、天平創建当時の礎石や古い柱根を発掘し、声なくして寺史の悠遠なことを偲ばせました。
この古い礎石は、鐘楼の地下からも発見されております。
鐘楼の東北、別の廓内にある「から風呂」は、本願光明皇后が千人の垢をお流しあそばしたという由縁を伝えるもので、現在の遺構は慶長年間に修理されたものです。
もって皇后のお徳をお慕いすることができましょう。
なお南の築地外にあった横笛堂は、現在境内に移されたが、中世の当寺への信仰を物語るものであります。
滝口入道との恋に破れてこの寺に入り、髪をおろして仏道修行に明け暮れた雑司横笛が住まった古跡と伝えています。
本堂の北に続く本坊書院は京都御所のお庭を移築したと伝えられる庭園で、史跡名勝になっています。
奈良では数少ない遺構の一つで、これは皇室との関係深い当寺の近世における貴重な史料なのであります。
【霊像名宝のかずかず】
本堂内陣、桃山様式の代表的な須弥壇上に、当寺本尊十一面観音立像を仰ぎます。
印度健陀羅国王がつねづね観音さまを信仰しておられまして、その像を王宮に安置するため、観音菩薩生身のお姿と申す光明皇后をうつしまいらせようと、同国第一等の彫刻家問答師をわが国に遣わせられ、皇后のお許しを乞うて3躰の観音像を刻みました。
うち1躰をわが皇宮にのこして帰国したのが、この本尊さまだという伝承が「興福寺濫觴記」に書かれてあります。
古くから本像を光明皇后のお姿として崇めているゆえんであります。
本像は唐の檀像様式を受けついだ素木の一木彫成で、蓮葉の珍しい光背をおうて、謹直のうちにもやや寛がれたまうおん立ち姿の、あでやかにも美わしい印象は、拝む人々の心に深くしみわたる思いがいたします。
なお、本尊御閉扉中は、御分身像を拝観していただきます。
この御分身像は昭和40年にインド政府に依頼し、最上の香木の白橿の一木作で日本では只ひとつの観音菩薩像であります。
天平時代にしばしば用いられた維摩居士像は、木心乾漆の手法により造顕されたもので、居士の面目躍如とした上代肖像彫刻の逸品とされています。
ほかに天平末期の木造梵天・帝釈天頭、藤原時代の木造漆箔仏頭をはじめ、多くの御仏たちも堂内におまつり申していますが、滝口入道との間に交わされた文がらをもって自作したという横笛の坐像もともに供養のため安置しております。
仏の道にいそしんだ佳人の心境が、このささやかな像から聞かれるようであります。
なお当寺では光明皇后御草創以来、護摩供を念じ、その清浄灰土をもってお作り申している犬守りを伝え、今日でも一山尼衆がその奉仕を続けていますが、さきに本堂解体修理のみぎり、はからずも礎石下から古様の犬御守一体を発掘いたしました。
伝統の尊さ、ありがたいことであります。
当寺には別にわが国仏画の最高峯としてかくれない名宝絹本着色阿弥陀三尊及童子像を蔵しており ますが、香ぐわしさのかぎりといわれる傑作でありますが、保存の関係上、毎年一回10月25日から11月10日まで当寺慈光殿にて公開し、一般有縁の方々に拝観して頂いて居ります。

境内図。

赤門の東側に横笛堂。
京都嵐山の滝口寺の記事でご紹介した『平家物語』の悲恋のヒロイン「横笛」が尼となった後に住んだとされる。
なお、元々は現在の南門の前辺りにあったらしく、そこにあったとされる建物が横浜の三溪園に移築されている。


横笛堂の北側に稲荷神社。


社殿。


その北側に薬師堂。


赤門の西側に鐘楼。
国の重要文化財。


鐘楼の西側に護摩堂。


池の南側から拝みます。


北側には何かの礎石。


護摩堂の北側に中門。


本堂東側に前庭。
客殿、東書院へと通じています。


本堂。
国の重要文化財。
本尊の十一面観音像は国宝。


本堂から南門を見る。


南門。
国の重要文化財。


南門脇に万葉歌碑と枝垂桜。


山部赤人が藤原不比等邸跡を訪れて詠んだ歌。


枝垂桜がきれいでした。


境内の西側には慈光殿。
名勝庭園内にあります。


本堂前に残る礎石。


名勝庭園に向かいます。
つづく

スポンサーサイト



コメントの投稿

非公開コメント

プロフィール

月の輪殿

Author:月の輪殿
鉄道に乗ってお城めぐりと麺が好きです。

最新記事
カテゴリ
FC2カウンター
最新コメント
検索フォーム
リンク
RSSリンクの表示
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

月別アーカイブ
QRコード
QR